原始・古代時代

更新日:2020年02月28日

旧石器時代の湯沢町

約3万年前から始まる旧石器時代後期に、魚沼地域にも人類の活動が展開されています。湯沢町にも岩原遺跡や大刈野遺跡を中心として旧石器時代の遺跡が確認されています。

縄文時代の湯沢町

魚野川上流部に開けた湯沢の里には、今から約5,500年前頃から火焔形土器を保有する集団がムラを営んでいました。そのムラは、川久保ムラと添名ムラ、そして萩原ムラであり、川久保ムラを母ムラとして構成されていたと推測されています。この魚野川上流部に位置する川久保ムラは「火焔のクニ(現在の長岡市を中心として湯沢町を含む火焔型土器を使用していた地域のこと)」の南端にあり、関東からの入り口にある重要なムラでした。
湯沢町に発展した縄文文化は、その初期である草創期初頭の大刈野遺跡に活動が認められ、世界最古級の土器が発見されています。そして早期に入ると活動は活発化し、岩原1・上林塚・宮林B・萩原Bなどの遺跡群が発展し、前期になると岩原2や宮林Bなどが分布します。このような前史を踏まえ、中期になると川久保ムラなどが営まれ「火焔のクニ」の一翼を担うことになります。しかし、後期前半を境に川久保ムラ等は廃絶し、他の小規模遺跡も激減する現象が確認されています。しかし、小規模な活動は晩期まで続くことになります。
山深い里で形成された雪国縄文文化の伝統は、弥生時代に入っても色濃く残り、縄文的生業活動に基盤を置いた雪国の山間地域に適応した弥生文化が展開したと推定されています。

弥生時代の湯沢町

2世紀ころ、動植物を求めて山道をさかんに行き来する弥生人が三国洞窟にいました。稲作や金属機器、機織の技術など、朝鮮半島を経て、東アジア世界で生み出された文化が日本列島に伝わってから、およそ100年たっていました。煮炊きなどに使う土器の器面から壮麗な飾り模様が消えていく中で、彼らは縄文がしっかりと施された土器を頑固に使っていました。湯沢には米作りのムラに、山や川の豊かな恵みを提供するすばらしい自然が昔からありました。

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